オキョア・ドキュメント

文章下手っぴマンがじっくり書きたい時に使うよ

運命を決める季節には忘れられないことばかり起こる

こんにちは。初めましての人ははじめまして。オキョアです。

ここ最近は確定申告だったり(マジでめんどくさかった)、大学もないので単発バイトをしまくったりで先月と比べたら非日常が甚だしい時期になっていました。それに加えてデレ大阪の余韻が未だに残っていて、まさに心家にあらずのような生活をしていたわけです。それもあってあんまりTwitterに顔出せない日々が続いていましたが。

 

そんなこんなで毎日を過ごしていた中、個人的なことではありますが、昨日の2月22日に8年間飼っていたセキセイインコが突然亡くなってしまいました。

これはまだ元気に檻に登ってきてくれた頃の写真です。

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まぁ、いきなりブログ初投稿が飼っていたペットが亡くなった話とかこいつ人に読ませる気あんのかと言われても仕方のないことだとは思っています。しかも特にこの垢でインコ飼ってるよって話もしたことはなかったはずですし…

けど別に取り立てて話すことでもないくらいに、僕にとっては彼がいることは生活の一部、当たり前の存在になっていたし、特に亡くなってしまった今はそれ痛感しているところです。

 

今思う一番の後悔といったらインコが息を引き取ったところを看取れなかったことでしょうか。僕が朝バイトに出て行って、母が世話しようとした時にはもう様子がおかしかったようであたふたと病院に行く準備をしていたところ、そのまま息を引き取ったそうです。バイトの休憩中、母からインコが亡くなったという連絡を見た時には頭が真っ白になってしまいました。

これもまた個人的なことなのですが、僕の親族は皆長生きしていて、僕は物心ついてから身近な存在が亡くなるという経験をしてきませんでした。なので今回の件は相当衝撃が大きかったし、第一にどういう気持ちでいればいいのかが全く分かりませんでした。

 

バイト中もなんかふわふわした気持ちで全く身が入らなくて、家に帰ってきて、横たわっているインコにティッシュが布団代わりにかけられている姿を見てようやく動かないことを実感しました。もう鳴かないんだなと。そこに関してはただただ寂しいという感情が非常に強く感じられたと思います。普段人前で泣くことなどない父も仕事から帰ってきてすぐに、インコの前で号泣してしまって、僕もますますその感情が強くなりました。家族の中では母だけが着丈に振る舞っていて、飼い始めた頃からずっと、いずれはこうなるものだと受け入れていたのかもしれません。

ただどこかで読んだ話(多分現代文へのアクセス基本編)ですが、"死"には、生命活動が停止した"死"と存在が消える"死"の2種類があって、後者こそが完全な"死"なのだとする考えがあるそうです(アフリカのどこかの民族だったと思います)。要は忘れられることで初めて"死"が成り立つということでしょう。

亡くなったインコを見て、寂しいという感情とともにこの話を思い出して、"あぁ、こいつが生きた証を忘れないでやりたい"と思いました。それもあってとてつもなく拙い文章力でこんな記事をいきなり書こうと思ったわけです。

8年間も一緒にいれば色々なことがありました。太りすぎて飛べなくなったり、ハーネスを着せようとしたら全力で拒否しだしたり、一緒にメタルロックを歌ったり、突然発情しだしたり…

なにせ僕が小学生の頃から飼い始めてずっーーーーーーーー-と家にいてビービー鳴いてた生活が普通になっているのです。なので改めて書けと言われてもパッと出てこないんですがね……。

ただ彼が残したことを忘れないようにしてあげたい…それが残された者が彼を"生かす"ためにできる唯一のことなのではないでしょうか。それはペットだろうと人だろうと変わりなく、形に残る写真だろうと人の記憶だろうと、残り続けることで存在していた事実は消えずに、ずっと生き続けることができるものだと感じています。

彼のことを"忘れない"ということを書き留めておくことで忘れないでおけるかなと思って、これを書くことに決めたわけですが、まだ静かに眠っているようにしか思えない亡骸をどうするかも決めかねている状況でして、正直今もまだこの状況さえも整理できてないです。身近な存在が死んだことでいつもの日常と違う生活を歩んでいる気がしてなりませんし、心にぽっかり穴が空いた気が、はっきりとしています。とりあえず、ここには"忘れないことを忘れない"ということだけは書いておこうと思ってつらつらと書いているわけです。

そんな彼の誕生日は3月上旬。もうすぐだったんですよね。そろそろ海外FA権間近だなぁなんて思ってたし、インコって南国の生き物ですが、僕のインコは普通に毎年冬を越してて、今年も当たり前のように越冬して生きるものだと思ってたんですけどね。ただ平均寿命8年と言われているので本当に寿命だったんだなぁと思っています。人間の齢にすると71歳だそうで、普通に長生きの部類に入る生き様でした。人生100年時代なんてクソくらえだよ。確かにペットを飼う者としては遅かれ早かれはこうなることは分かっていましたが、それでも急な別れは辛いものです。全くもって心の準備なんてできていませんでしたし。今回の件で良かったことといえば人知れずに死ななかったことでしょうか。母が看取ってくれて良かったなぁと。亡くなる瞬間に誰にも看取ってもらえないだなんて寂しいでしょうからね。

人間においても生きることでは冬は厳しい季節になってます。コロナは言わずもがなだけど、多くの著名人も冬を越せずに亡くなられてる印象があります。特に今年は野球界でそのイメージが強いですね。金やん…モリミチ…ノムさん

あとは受験も厳しい冬のイメージには合うんじゃないでしょうか。僕は去年のこの時期は今通ってる大学の合格発表が出てそれはもうぶち上がってた記憶しかないですけど、今年の冬と比べたら明らかに"暖冬"だったし、その"暖冬"の分、今年の"厳冬"がやってきているのかなとも思ってしまいます。

 

でも"暖冬"だとか"厳冬"だとかって言えるのは毎年違う冬を過ごせているから。同じ冬を過ごしてたらそれが暖かいのか厳しいのか分からないですからね。

 

それも運命。これも運命。だけどその"運命の記憶"だけは絶対に死なせないようにしたい。今年の冬は特にそう思わせてくれるものでした。

 

 

そろそろ3月に入ってプロ野球も開幕するこの時期、例年通りならだんだんと寒さも抜けてくるんでしょう。それでもしばらくは暖かくは感じられそうにないなぁ。僕を寂しく感じさせる風が止みそうにありません。

 

安らかに眠れ…ジャピちゃん…R.I.P.