オキョア・ドキュメント

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お世話になったコーチ

昨日のニュースで、元巨人の倉田誠さんが亡くなられたとの報道がありました。倉田さんはV9の頃に主力投手として活躍され、ちょうどその9連覇を達成した1973年には18勝9敗の成績で最高勝率のタイトルにも輝きました。

実は自分は小学生の頃に倉田さんが所属されていた野球教室に2年間通っていました。その時からはもうしばらく経っているとはいえ、一時期でもお世話になっていたことがあっただけに、今回のことが本当残念でなりませんでした。

野球教室に通っていた頃は倉田コーチと呼んでいたので以降は倉田コーチと表記させていただきますが、その通っていた当時でも元プロ野球選手らしくガッシリとしていて大柄な体格だったのが今でも記憶に残っています。口数は少なめで寡黙な感じながらも本当に一人一人をしっかり見ていて、丁寧に身振り手振りを交えながら野球を教えていただきました。

エピソードとしては、まずキャッチボールをさせてもらったことがありました。野球教室では月初にコーチがピッチャーをする紅白戦をやってそこで課題を見つけた上で、打撃や守備の部分を月の残りの練習で改善していくというスケジュールでやっていました。その紅白戦が行われるある日に、自分が開始時間より早めにグラウンドに到着すると倉田コーチが「紅白戦で投げるから相手になってくれないか」ということで、、他に小学生がいなかったこともあり、キャッチボールをすることになりました。距離的には大した距離ではなかったものの、その時ほど真っ直ぐに、丁寧に投げなきゃと思ったことはありません。正直プロの、それもV9時代の主力投手だった方のキャッチボール相手なんて、ただの下手くそなガキに務まるはずなんて今考えてもないだろというところではあるんですが、本当に凄い経験をさせてもらいました。

そしてもう一つ。ある日ティーを使った打撃練習をしていたのですが、ちょうどその時に仲良くしてた奴と自分の出番が来るまでの待ち時間でプロ野球の話をしていました。その頃はまあ話していたみんながジャイアンツを応援していたこともあり、当時31本を打ってから攻守で伸び悩んでいた坂本勇人選手の話題になっていました。今でこそ日本球界屈指の攻守揃ったショートとして、最多安打首位打者、ショート初の40本塁打、右打者最速の2000本安打達成など輝かしい実績を残しているわけですが、自分がジャイアンツ見てた頃といえばポップフライが多いわ肝心なところでエラーはするわであまり印象良くなかったんですよね。それで、そのことについて話してるうちに自分の出番が回ってきたとき、練習を担当していた倉田コーチが一言

「坂本のことを悪く言うな」

って擁護したんです。その時は「あ、やべっw聞かれてたw」みたいな感じで、すいませ〜んみたいに返したと思うんですけど、実際には内心そんなに納得してませんでした。それがどうですか。今から考えてみれば、あの時から数段レベルアップして球界を背負って立つほどの選手になってるし、倉田コーチは攻守で不甲斐ないプレーが続いていた中でもしっかりと坂本の素質を評価してたんでしょうね。それと、自分は小学生の時点ではあったけど見る目なかったんだなあ(元々ガキの分際でプロの選手を酷評できる立場にはなかったけど)とも思わされました。

倉田コーチには週1回の野球教室で2年間、下手くそだった自分にもわかるように丁寧に野球の動きについて教わりました。結局自分は小学生以降は野球をやめてしまい、教わったことを生かすことができませんでしたが、今振り返ればこの野球教室に通っていた時期は本当に貴重な経験をした期間でした。倉田コーチが自分のことを覚えているかどうかは分からないけれども、自分の中で倉田コーチに教わったことは何事にも変え難いものになっています。

 

倉田コーチのご冥福をお祈りします。そして、ありがとうございました。